夏休みの自由研究
中学生の頃の夏休み。私は自由研究のテーマに悩んでいた。当時から文系だった私は、理科の実験やら観察には全く興味がなかった。むしろ、一日中推理小説を読んでいたいと思っていた。部活動の帰りに図書室に寄り「〇〇殺人事件」「△△の謎」などの本を借りてきては読書に没頭していた。
そんなある日、ふと自由研究のテーマがひらめいた。
「推理小説 犯人一覧表」の作成だ。模造紙に本のタイトル、作者、あらすじ、犯人の名前を書いて表にまとめるのだ。表を完成させるには推理小説をたくさん読むしかない。一石二鳥だ。我ながらこのアイデアはすばらしいと思った。そうして読書三昧の生活を送った。
夏休みがあけて、宿題を提出する日が来た。
40冊分はあったかもしれない「推理小説 犯人一覧表」を見た担任の先生が驚いた顔をして、聞いてきた。
「この本、全部読んだのか?」
「もちろんです。だって、犯人の名前、書いてあるでしょう。最後まで読まないと犯人は分かりませんよ」と得意げに答える。先生も私の読書量にかなり感心してくれた。
しかし、私の「推理小説 犯人一覧表」はついぞ、教室に貼り出されることはなかった。他の生徒の自由研究は色とりどりに教室の壁を飾っていたが、私の研究は外された。
確かに、完全にネタバレの表である。これから推理小説を読もうとする生徒の意欲はそがれてしまう。先生としては正しい判断であった。しかし、当時の私はなんとなく悲しい思いをした。
そんな思い出もあり、今回はミステリー小説を題材にするが、あらすじや、もちろん犯人に言及することはない。
マンション管理の世界は、世の中によく知られていないと言われている。分譲マンションを購入し、理事会の役員でも経験しない限り、知る機会もない。しかし、ミステリー小説などに分譲マンションの生活が取り上げられれば、少しは世の中の理解が進むかもしれない。
では、ミステリー小説の中でマンション管理は果たしてどのように描かれているのだろうか。なお、作品の選定は私の好みである(参考文献欄参照)。
住宅を取り巻く歴史と社会課題
それぞれの作品では、その背景に、経済状況や世相が描かれている。サラリーマン世帯がマンションを購入することはいつの時代も一大イベントであるが、居住に至る動機や、購入に至るまでのプロセスなどには差がある。時代ごとに作品の背景を比較すると面白い。
高度経済成長期の住宅事情が描かれた作品(※参考文献1) では、いわゆる同型の建物が複数並んでいる「団地」が、分譲当時、普通のサラリーマンの憧れの存在であったことがよくわかる。今では、すっかり「古い時代の建物」として扱われ、どのように建て替えるのかが課題になっているが、この当時はもちろん建て替えなど意識されていない。誰も老朽化することなど考えてもいなかったことがよくわかる。
バブル景気、その後の不動産の価格崩壊を経て、マンションの所有者が差押え、競売へと転落していく姿を描いた作品(※参考文献2)では、経済の変動が人々に与えた価値観の変化を知ることができる。
2023年以降に出版された(※作品参考文献4・5)では、孤独死(孤立死)や特殊清掃の様子を取り扱ったものもある。それまでの作品ではなかなか見かけない、マンション住民の高齢化などに関する描写が描かれるようになる。
マンションは事件の舞台としてだけでなく、時代を表す象徴として描かれている。
賃貸マンションか分譲マンションか
ミステリー小説の舞台は、分譲マンションより賃貸マンションのほうが多いようである。
ミステリー小説は話の展開が早い方が面白い。個人的に言えばラストシーンの大どんでん返しは大好きだ。そういうファンも多いのだろう。場面展開を早くするには登場人物の入れ替えを早くすることも必要だ。賃貸マンションや販売中マンションが舞台になりやすいのは、こうした理由もあるのだろう。リアルの世界では、部屋を売って転居するには通常半年程度は必要だ。賃貸なら、1ヵ月前の予告で退去できる。賃貸マンションを舞台としやすいのは、賃貸マンションのほうが早く話を展開できるということもあるのだろう。
マンション内コミュニティ
マンションと言えば、近隣関係が希薄であるということが前提で描かれていると思われるかもしれないが、実はそうでもない。現実のマンションよりも近隣の人間関係が濃厚に描かれている作品も複数ある。
その理由として、人間関係が複雑でないと犯人の殺害動機につながりにくいとか、あとから暴かれる「暗い過去」を描くには登場人物同士につながりが必要になることもあるのだろう。マンション内コミュニティの醸成が必要だと言われて久しいが、現実世界ではなかなか実現できていない。そうした中、マンション内で次々とつながる濃厚な人間模様は、ミステリー小説ならではの感じがする。
一方で、マンションの「密室性」が強調され、希薄な人間関係が事件の謎を深める展開になっている作品もある。
実際のマンションの暮らしに照らしてみると、希薄な人間関係を前提としている作品のほうがしっくりくる。
管理員か管理人か
私が読んだすべての小説で「管理人」が使用されていた。世間一般的にも「管理人さん」と呼ばれることが多い。しかし、国土交通省によるマンション標準管理委託契約書では「管理員」という用語を用いているし、一般社団法人マンション管理業協会(マンション管理会社の団体)では「管理員」と呼ぶことを普及しようと努めている。
「管理人」は古くから使用されてきた用語である。一般的にイメージされるのは、高齢の男性であり、仕事内容も清掃やマンション内の巡回などであろう。しかし、実情は異なる。マンションの抱える課題が大きくなればなるほど、高齢の居住者への対応や、理事会運営の補助(議事録の捺印回付など)、所属する管理会社の法的対応の補助など(適正化法における現地への掲示など)、間違えてはならない業務は増加の一方だ。
こうしたことから、古い「管理人さん」のイメージを変えるため、「会社員」の「員」を含む「管理員」を使用しようと努めている。
ひとつ、エピソードを紹介しよう。あるマンションの居住者から「当マンションについて管理人が書き込みをしている。すぐにやめさせろ」というクレームか入った。
よくよく確認すると、あまり好感の持てないウェブサイトの書き込みに「管理人」という署名がある。しかし、それはウェブサイトの管理人が書き込んでいるもので、マンションに勤務する管理人が書いたものではなかった。こうした世の中にあふれる他の「管理人」とも区別したいという思いもある。しかし、まだまだ浸透していない。
専有部分の鍵の取り扱い
管理員が専有部分の鍵やマスターキーを保持しているといった描写のある作品がある。実際は、分譲マンションも賃貸マンションも、管理会社が管理する場合、管理員が鍵を持つことはほとんどない。
分譲マンションの場合は、そもそも専有部分のマスターキーは存在しないし、各住戸の鍵を預かることはない。緊急対応を目的として管理会社や警備会社が提供する「鍵預かりサービス」では、鍵は専用の保管庫の中に厳重に保管され、管理員は手を触れることはできない。警報が鳴った場合に、近くの待機所から駆けつけた警備員が現場を確認してから保管庫を開けて鍵を取り出すしくみだ。
分譲マンションの場合、マンション標準管理規約でもマンション標準管理委託契約書でも、他の区分所有者や管理会社は「立ち入りを請求することができる」という表記のみであり、「立ち入ることができる」とはされていない。
賃貸マンションの場合でも、専有部分の鍵は管理会社の保管庫で保管している場合が多い。原則として管理員は1棟につき一人で勤務している。例えば、強硬に「この部屋の関係者だ、中に入りたい」と言われ、根負けして鍵を開けてしまうなどということがあれば、管理会社の信用問題にかかわる。組織としての判断がない限り鍵は取り出せないようになっている。
こうした実情に照らすと、専有部分の鍵の取り扱いがたやすくできるかのように描かれている作品には違和感を覚える。確かに、事件が専有部分の中で起きているという緊迫した場面の最中に「申請者の身元確認をして」「会社に連絡をとって」「警備会社や管理会社担当者の到着を待つ」などという手続きを描写していては興ざめだ。管理員が手元に鍵を持っている、すぐにでも開けて殺人現場の部屋に入ることができる、という描写の方が話の展開はスムーズだ。しかし、これが世の中の「管理員は鍵を開けることができる」という誤解に繋がっているようにも思う。
なお、事件が発生した際の場面で、管理員が一人で判断せず、管理会社の担当者との一連のやりとりを実務とほぼ同等に描写している作品もあった。
専有部分の間取り
間取りが事件解決の鍵のとなる小説もある。「間取りミステリー」や「密室トリックもの」である。マンションの多くは「田の字プラン」と言われる間取りであり、玄関から廊下を通ってその左右に部屋がある。まるで漢字の「田」をイメージする間取りであることから「田の字プラン」と呼ばれている。
(概念図)田の字プラン
マンションは周囲をコンクリートで囲まれている以上、リノベーションや大規模な意匠変更のオプションを行わない限り売られている多くの間取りの可変性はほとんどない。そのためか、間取りにこだわったマンションはあまり例がない。例外を紹介すると、静岡大学名誉教授の外山知徳先生が携わったマンションである。2023年9月のセミナーでは、外山先生から、住宅の間取りが人に与える影響について説明を頂き、マンションでも子育ての環境に良い間取りを工夫したプランがあったことをご紹介いただいた。
第10回 マンションみらい価値研究所セミナー「住まい方ひとつで人間関係は変わる。〜マンションで暮らす「配慮が必要な方」への支援~」
そのためか、間取りミステリーの世界では、マンションはあまり舞台にならないようである。田の字ブランを舞台としたトリックが紹介されれば、もっとマンションの間取りにも興味が向くのではないだろうか。
通勤管理方式か住み込み管理方式か
賃貸マンションを舞台とした作品では、管理員は不動産オーナーから直接雇われているように描かれている。しかし、実際はオーナーが直接管理員を雇用するケースは少ない。
人を雇用しようとすれば、労働時間によっては社会保険制度への加入なども必要になる。教育研修のほか、毎日の勤務時間の管理もある。こうした手続きを個人のオーナーが行うのは実に煩雑だ。
賃貸マンションを舞台とする作品に登場する管理員は、居住者にあまり好意的な印象を持たれていない人が多かった。管理員は居住者に対してぞんざいな話し方をしていることがあり、「そんな話し方をしたら、即刻、クレームになるだろうな」と思う場面も多い。そう考えると、賃貸不動産の管理会社の印象を損なわないためには、管理員は管理会社の雇用ではなく、あえてオーナーから直接雇用されている設定でいいのかもしれない。
また、いずれのマンションの管理員も「住み込み管理方式」であった。登場する管理員は事件の証言者であったり、目撃者であったりすることもあり、深夜の人気のない時間帯に事件が起きがちであることを考えると住み込み管理方式のほうが都合がいいのだろう。しかし実際はほとんどが通勤管理であり、住み込み管理方式は減少している(図1参照)。現実の世界とミステリー小説の世界では管理員像が乖離しているように思う。
なお、住み込み管理方式の減少は、機械警備システムなどの発達により、あえて人件費をかけずとも警備会社と連携することによりセキュリティが保たれるようになってきたことが要因である。ミステリー小説の世界でも、そろそろ管理員は通勤管理方式に変更してもらいたいものだ。
おわりに
私はマンションみらい価値研究所のコラムの執筆に困っている。書いても書いても次の締め切りが来る。もう書き尽くしていてネタがない。さらに、いったん別の仕事が入るとそちらの仕事に没頭してしまい、コラム執筆への興味を完全に失ってしまう。正直な話をすれば、早く仕事を終えてミステリー小説を読んでいたいと思う。
そんなある日、ふとコラムのテーマがひらめいた。
「ミステリー小説の中に描かれたマンション」の執筆だ。コラムを書くにはミステリー小説をたくさん読むしかない。一石二鳥だ。我ながらこのアイデアはすばらしいと思った。そうして時間を気にすることなく読書三昧の日々を送った。
数日後、夫が出張から帰ってきた。リビングに積み上げられたミステリー小説の山を見てつぶやく。
「この本、全部読んだのか?」
参考文献
参考文献1「マンション殺人」西村京太郎 1983年 徳間書店
参考文献2「理由」 宮部みゆき 2002年 新潮社
参考文献3「グランドマンション」折原一 2013年 光文社
参考文献4「隣人を疑うなかれ」織守きょうや 2023年 幻冬舎
参考文献5「変な家2」雨穴 2023年 飛鳥新社