マンションにお住まいの高齢者が、ご自宅でひっそりと亡くなる。社会全体の高齢化が進んだ今となっては珍しいことではなく、高齢者とはいえない年代の方でも以前からあった話である。“ひっそりと亡くなった”といっても、それがただちに“孤立死”というわけではない。“孤立死”とは、社会とのつながりが希薄なまま、誰かに看取られることなく亡くなり、長期間誰にも気付かれなかった状態を指す言葉だ。単に独りのときに亡くなったからという訳ではない。そこで今回は、マンションに独りで暮らす人が迎える「死」について、私自身の経験も交えながら考えてみようと思う。
10年以上前のことになる。仕事の関係があったわけでも同じマンションに住んでいたというわけでもないのだが、とある男性との縁が生まれた。彼は、東京都郊外の築40年以上の古いマンションに独りで住んでいた。エレベーターがないいくつもの棟が立ち並ぶ大規模な団地。彼は60歳を超えてはいたが一般的には高齢者といわれる年代ではなく、工場に勤務し規則正しい生活を送っていた。だがある夜、自宅で心臓発作を起こし、亡くなってしまう。その際の現場検証の立ち合い・火葬、そして遺灰を郷里まで届けたのが私なのだが、実は、生前の彼とは面識もない、少し変わったご縁。いきさつはこうだ。勤務先の工場から「この3日間会社に出てきていない、自宅のドアに耳を当てると部屋からテレビの音は聞こえるのだが」という連絡が、彼の唯一の縁者である、北海道の田舎に住む姉のところに入った。姉は生まれてからずっとそこに住んでいて、飛行機にも乗ったことがない独り住まいの高齢者だったため、もちろん関東に伝手はない。困り果て、その周辺に住んでいる方に相談すると、「知り合いの妹が嫁いだ先が、あなたの弟さんの住所近くに住んでいると聞いたことがある。連絡を取ってみよう」ということになったらしい。名も知らぬ何人かを介して、妻の兄から連絡が入る。それがこの私だったということだ。他に誰かいないのかと考えても仕方がない。私はマンションに行き、警察を呼び、鍵屋にドアを開けてもらう。現場検証や医師の検死の立ち合いを終え、遺体を運び出すのに丸1日かかった。その夜は警察署で安置してもらい、翌日、葬儀屋さんにご遺体を引き取ってもらったのだが、北海道の姉からは「そちらにいけないので火葬して、遺灰を持ってきて欲しい」と懇願される。形見になりそうなものを宅急便で送り、清掃と遺留品の処分を専門会社に依頼する。亡くなった方の後片付けに手慣れた人など、そういるわけもないと思ったのだが、鍵屋を教えてくれたマンションの管理員さんから、他にも必要になりそうな業種の方の電話番号も教えておきましょうと言って渡されたメモが役に立った。ここではこんなケースが今までもあったのだろうと思いながら、隣近所への挨拶もする間もなく、彼の姉が待つ北海道に向かった。ご縁ができて何日目かの夜に遺灰を姉に届けた。灰になった彼と彼の姉との思い出話を聞きながら私も一緒に通夜を過ごし、翌朝、相続やその他の手続きもあるだろうからと言って管理事務室の電話番号を渡し家を出た。低く垂れこめた3月の雲の下を、北帰行の白鳥の群れなのだろう、私の頭からそうは高くはないところをみんなでにぎやかに鳴きながら飛んで行ったのが忘れられない。彼は独りで亡くなりはしたが、けして“孤立死”ではない。マンション内でのつながりはほとんどなかったようだが、工場に勤めていて社会とのつながりはあった。死後3日程度が経過していたものの、生まれ故郷の墓に眠ることもできた。私との縁はおまけみたいな話だが、私にとっては改めて死生観を見つめる機会となった。さて、その後、彼が住んでいたお部屋がどうなったのかは私が関わる話でもなく、わかりようもないのだが、マンションにおけるしかるべき手続きが取られていなかったとしたら、管理組合の頭を悩ませる所有者不明住戸が、また一つ増えてしまったことになるのだろう。
これは、ほとんど付き合いがなかった私の叔父の話だ。マンションで独り暮らしの85歳だった叔父が脳溢血で倒れ、そのまま要介護5となり、失語という後遺症を引きずったまま亡くなった。彼の入院から施設への転所、成年後見人の手続き、葬式・埋葬と動ける縁者が私しかいなかったこともあり、相続完了までの5年間、関わることになったのだ。叔父には、毎日のように互いに行き来していたマンションの友人が二人いたそうだ。彼らが発見してくれなければ、部屋で独りで亡くなり、異変に気付くまでずいぶん時間を要しただろう。私が病院に行ったときにはすでにソーシャルワーカーの方も同席され、その後のリハビリ施設への転所や成年後見人の手続きの仕方など、いろいろと教えていただけたのはありがたかった。マンションコミュニティにおいて、高齢者への配慮を考えようという風潮が芽生えつつあるのは確かだ。一方で「配慮」とはいっても、バスで席を譲るなどの道徳観の延長の話であって、コミュニティで行うのには限界もある。そもそも「配慮」ということばが具体的にどこまでを指すのかがあいまいで、よくわからないのも事実だろう。もし、亡くなったまま長期間発見されない、また相続放棄で所有者がいなくなるとしたら、専有部分での個人の財産管理上の問題が、マンションに大きな影響を与えてしまうという現実もある。コミュニティ内でできることとは、日頃から高齢者に気をかけ、異変に気づいた際には地域包括支援センターなどにつなぐ、また公的な介助などが入る際には支援する、まとめると「気づく・つなぐ・支援する」ということだ。もちろん、コミュニティ内での支援には限界があるため、必要に応じて社会福祉などの制度とうまく連携させる必要があるだろう。私の叔父の話は、マンションの友人たちがそれをうまくやってくれたということになる。コミュニティが手を差し伸べるための最低条件とは、あいさつ程度であれ互いに顔を認知し、名簿や緊急連絡先をそろえておくことに尽きるわけだ。
独りのときに突然倒れて亡くなってしまった人が、運よく周囲の人に発見されて病院に担ぎ込まれるなど、今も昔も、けして特異な話ではない。今後核家族化がさらに進み、独りで暮らす高齢者が増え、コミュニティの中での人と人のつながりが薄くなっていくと、これまでは発見されていたようなケースであっても「孤立死」となってしまうケースが増えていくかもしれない。歳を重ねれば、自分の知り合いやお隣さんだけでなく、自分自身がそうなってしまってもおかしくはない。ましてや親兄弟はすでに他界していたり縁が薄れていたり、また子供たちも遠方に住んでいたりすると、孤独感はさらに深まる。私の二つの経験談は、亡くなられた方とご縁をいただいた私との二人称の話だ。多くの方が暮らすコミュニティの中での「気づく・つなぐ・支援する」の話は、三人称の話であると捉える人も多いだろう。しかし、コミュニティに所属している以上は、自分がだれかに助けられる側になることもあるだろうし、だれかを助ける側になるのかもしれないのだから、自分自身がという“一人称”でしっかり受け止めておかなくてはならない。たとえば、緊急連絡先の更新を呼びかけるのは管理組合でも、それを提出するのは自分自身。共助の醸成といっても、だれかがやってくれるではなく、自分自身がコミュニティにどう関わるかということを考えることが大切なのだ。相続のために遺言書を書いておく、任意後見人を決めておく、地域包括支援センターに相談しておくなどといったことについても、誰に任せるのではなく、すべて“自分自身が”という一人称で行動すべきである。いま、ブームともいえる「終活」で自分の死に対する準備を始める人も増えてきた。死生観は時代によって変わるものだというが、死について考えることを前向きに捉え、「今をいかに生きるか」に目を向けること。それが、自分自身がという“一人称”で考え、行動するということなのだろう。そしてそれは、人生の最期を豊かにするきっかけになるのかもしれない。
マンション管理士。株式会社リクルートにて住宅情報北海道版編集長、金融機関への転籍を経て、大和ライフネクスト入社。管理企画部長・東京支社長などを歴任。マンションみらい価値研究所にてコラムニストとして活動。
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