忍びよる高齢化問題の悪影響
「2025年問題」──最近では新聞やニュースなどで繰り返し使われるこの言葉だが、その内容についてしっかりと理解している人が現時点でどれぐらいいるのか。知ってはいても、まだ先のことと高を括り、なかなか自分ごとと捉えられずにいる方もいらっしゃることだろう。
念のため、今一度ここで「2025年問題」をおさらいしてみる。
「2025年問題」とは、戦後の第一次ベビーブームに生まれた"団塊の世代"が、後期高齢者(75歳)の年齢にこぞって達するのが2025年。その人口は約2,200万人だそう。国民の5人に1人が75歳以上になるということだ。これにより逼迫するはずの医療・介護などの社会保障費の問題を指して「2025年問題」という。
──さぁ、どうだろう。今こうして説明を受けたとはいえ、おそらく日々の暮らしの中で「だから生活がきつくなった」という実感値のない人が多く、いまいちピンときていないのではないかと思う。しかし、“サイレントキラー”ではないが、超高齢社会がもたらす悪影響は音もなくすぐそこまで忍び寄っているのだ。
もはや「ゴミ屋敷」。ドアの向こうの闇
これは、ある分譲マンションで発生した事例である。独居で認知症を患っていたある高齢者が、ゴミ出しの曜日や出し方がわからなくなってしまったようで、思いついた時に適当な場所へゴミ出しをすることが頻繁に起こった。
生ゴミの日ではない日に生ゴミを、ペットボトルやカン類など分別しなければならない物が燃えるゴミと一緒に、電池やスプレー缶なども置き場を守らずに廃棄。いくら清掃員や管理員がいるとはいえ、毎度のことでは衛生面や安全面にも支障が出る。見かねた管理員が「ゴミ出しのルールをきちんと守って欲しい」と該当者にお願いをしたのだという。
以来、上記のようなゴミ出しに関する問題はピタリとなくなり、以前のような秩序が保たれるゴミ置き場となった。──と喜んだのも束の間、今度は異臭騒ぎが起こる。
異臭がすると騒ぎになっているのは、先の高齢者が住むフロア。それがこの見出しへとつながるのだが、管理員から注意を受けたことを真摯に受け止めて、しっかりゴミ出しをしようと思ったその高齢者だったが、いくら頭をひねってもゴミの出し方を思い出せない。思い出せないから今度は怖くてゴミを出しに行くことができず、家の中に溜め込んでしまったというのが顛末だ。ニュースで報じられるゴミ屋敷は、一戸建て住宅だからこそ表に出やすいが、実はこうしたマンション内でもゴミ屋敷が多く発生しているのだ。
孤独死がもたらす被害
市場調査機関である「ニッセイ基礎研究所」によると、日本での「孤独死」は年間で約2万8千人におよぶという。ちなみに「孤独死」の公的な定義はない。情報元が「自宅で死亡し、死後2日以上経過」した状態で発見されたケースを孤独死と定義しデータをまとめた。現代の日本、1日あたり約76人が孤独死として発見されているのが現状だ。
しかし孤独死と聞くと、どことなく“晩年に身寄りもなく資金も困窮した生活の末路”をイメージしてしまうのではないだろうか。それが「そうでもない」からこそ、今こうした数字としてあがってくる社会問題のひとつになってしまう。分譲マンションにおいても、最近では起こりがちな頭の痛い問題でもあるのだ。
孤独死は突然やってくる。特に、寒い冬にお風呂に入ろうとして、またトイレに行こうとしてなど、急激な寒暖差による死亡は後を絶たない。しかも浴槽内で体が浸かった状態で亡くなると、自動追い炊き機能のあるお風呂だと 40℃以上のお湯が保たれる。腐敗も早いということだ。
しかし、分譲マンションの資産を守るという観点で考えると、浴槽での孤独死はまだいい。最悪なのはリビングなどでの死亡だ。生々しい話にはなるが、腐敗が進んだ遺体からは体液が染み出し、さらにはスラブにまで浸透することもある。最悪のケースは下階住戸の天井に染みが浮き出ることになる。こうなると、死臭も室内に充満するなど生活被害が大きくなる。
独り暮らしの場合、離れて暮らす子や親戚が心配して連絡をくれることがあるだろうが、毎日連絡のやりとりができるわけではない。そうなった場合2〜3日で発見されればまだマシ、下手すると死後1週間〜1ヶ月の放置となってしまい、腐敗が激しくなる夏場などでは先のような状態になってしまう。この問題を、遠くの家族や親戚だけに任せておくだけでいいのかどうか。
管理員の“コミュニティ能力”が功を奏した事例
マンション内の高齢化問題は、先述のような「認知症によるゴミ屋敷化」や「独り身による孤独死」をもたらす要因になる。しかも今後も増加の一途をたどるはずだ。さらには「空き家問題」「管理費の滞納」など、頭痛の種は尽きない。
そんな中、ある管理員の言葉を思い出す。
「やっぱり挨拶が基本です。挨拶ではじまり挨拶で終わる。これが一番大事なんです」
確かに、お住いの認知症の方、高齢者の独り住まいなど、身近でコミュニケーションがとれる管理員の存在は無視できないだろう。
管理費の滞納問題でこんな話がある。そもそも滞納に至る原因は様々だ。うっかり残高が不足していたという程度から、経済的に破綻してしまった、死亡により口座が凍結された、居住者が行方不明になった。また認知症が原因になることもある。
中には、支払い自体をとにかく拒否する人物もいる。「払いたくない」「払う必要がない」と主張されてしまっては、督促を行う管理会社でも埒があかない。理事会からも「管理費等は払いたいか、払いたくないかという問題ではなく、そもそも『払わねばならない』もの」と説得しても、「いや、払う必要がない」と押し問答が繰り広げられるようなケースだ。双方に多大なエネルギーを費やし、最終的には裁判にかけて決着させる、というのが行きつくところになりそうだが、それがベストな方法かどうかは別の話だろう。
そんな滞納者に対しても分け隔てなく挨拶をし、また親切に接する管理員の存在が、徐々に管理費の支払いへの理解を促し、解決に至った事例がある。稀なケースなのかもしれないが、物事の理解の幅や頑固さなどは、人それぞれ。いろいろな方がマンションには暮らしていて、また、さまざまな溝を埋めていくのも、人と人との触れ合いやコミュニケーションということも納得がいく。
「管理員の基本は声かけ」を改めて考える
何名かの管理員に取材したことがある。「管理員の仕事で一番の魅力は?」と尋ねると、「住民に直接『ありがとう』という感謝の言葉を口にしてもらえること」と、異口同音で返ってくる。
今までは、そういったストレートな感謝の言葉をもらえることが少なかったし、とてもやり甲斐を感じるということなのだ。また、「いつも気にかけている行動は?」と聞くと、「住民への声かけ」であると。お出かけやお帰りの際に顔を見かけたときは、笑顔で気持ちよく挨拶することだと。「今日は寒いですね」「雨が降ってきましたね」など、他愛もない会話でこそあれ、親しみが湧き、住民からは気軽に声をかけてもらいやすくなるという。そんな声かけや挨拶が、マンション全体に広がっていって、コミュニティ形成の基礎になるのだろうと思う。
隣の人の顔もわからないということが珍しくない、現代の集合住宅のスタイル。たしかにその方が気がラクなこともある。しかし、昨今多発する自然災害や、再び襲ってくるかもしれない大地震など、住民同士で力を合わせて乗り越えなければならないシーンもやってくるかもしれない。さらには、先述のように高齢化社会による影響などの問題はさまざまだ。
そのためには第一に「コミュニケーションが大事である」と専門家は声高に警鐘する。コミュニケーションの大切さはわかってはいても、個人単位で率先するのは難しいだろう。そんな私たちの仲を取り持ってくれるのもマンション管理員なのかもしれない。
リアルに“友人になれ”という話ではない。何かが起きた時、「あそこには足の悪い高齢者が住んでいる」、それを「同じフロアの誰にお願いするか」など、マンション内の住人の状況を把握しておいてもらうだけでも状況や結果は全く違うはずだ。住人が管理員と親しくなることも、管理員を通じてマンション内の輪が生まれることも有効だろう。
「マンション管理員」という人物を介することで、この時代を取り巻くさまざまな問題が解消されていくかもしれない。この時代を生き抜くため、いや、迷惑をかけない死に方のためにも、人とのコミュニケーションが明日の我が身を助くといえるかもしれない。