「認知症になってもマンションに住み続けたい」は、可能か?

サステナビリティ高齢化社会
「認知症になってもマンションに住み続けたい」は、可能か?

マンションにおける認知症対策の実情

認知症という言葉は広まった感があるものの、未だ認知症を「痴呆」として軽視する人が少なくないようにも感じる。認知症に対する正しい理解が広まるにはまだ時間がかかりそうだ。

今後75歳以上の後期高齢者の増加に伴い、認知症を患う人はますます増えていくだろう。その認知症だが、罹患した本人が一番辛いことは間違いないが、何が問題かといえば周囲を巻き込む要因があるところだ。ゴミの出し方を間違えるといったことをはじめ、部屋のゴミ屋敷化、はたまた孤立死まで、共同生活を送る住宅においては他人事とはいえない状態になり、社会問題にもなっている。

こうした問題・課題解決のためには何かしらの手立てが必要ではあるが、マンションにおいては取り組み実績が乏しく、進んでいないのが実態だ。

自分が認知症になったとしても、周囲に迷惑をかけているなど露とも思わないかもしれないし、万一それに気づいていたいせよ、住み慣れた我が家──マンションに住み続けたいと願うだろう。何より、大金をはたいて購入した「区分所有者」としての権利があるのだから、そう願うことも当然であるはずだ。

それは理解できるのだが、共同住宅という性質上、秩序こそ最大のマナーだ。先にも触れたが、まずは認知症になるとなぜマンションに住み続けることが難しくなるのかについて触れてみる。

認知症の症状には大きく分けて二つあり、中核症状と行動・心理症状(以下、BPSD)と呼ばれている。
それぞれの症状、特徴の詳細な説明については専門書等に譲るとして、簡単に説明すると、

・中核症状・・・認知症になると現れる症状
        代表例:記憶障害
・BPSD・・・全ての認知症者に現れる症状ではない
        生活環境や精神状態などさまざまな要因により
        二次的に引き起こされる症状
        代表例:ひとり歩き

中核症状を発症した場合、確かに介護などの福祉サービスによる助けは必要になるが、マンションに住み続けることができなくなることはない。

例えば、中核症状の代表である「記憶障害」になったとしよう。少し前のことが記憶できずに忘れてしまうので、本人にとってはとても不安であり不便ではあるが、他のマンション住人の生活に大きな影響を与えることはないだろう。

一方で、BPSDが発症した場合は状況が一変する。例えば、BPSDの症状の代表例であるひとり歩きがはじまり、深夜にマンション内を歩き、ドアチャイムを鳴らして回るといったことがあれば、他のマンション住人の平穏な日常が脅かされることになり、この問題への対応は待ったなしとなる。

そうした「待ったなし」の状態──つまり、マンションにおいてのひとり歩きや、暴言、暴力、被害妄想、不潔行為といった言動が現れると、対処療法的に「排除」の方向に議論が進みやすい。取り除いてしまえば、一気に解決できるという思考だ。

それはある意味「本能的」なのかもしれない。野生動物の世界では、群れの移動速度についていけなくなった老齢の個体は群れから取り残され、排除されると聞いたことがある。

しかし、我々は人なので、動物のように本能的に排除してはいけないと思いつつも、実際には「手におえないもの」として扱われ、マンションからの退去や施設等への転居を望む声が大きくなるのが実態だ。

BPSDの発症を抑制することはできるか

このように、認知症になったからマンションに住み続けられなくなるのではなく、症状が進行してBPSDを発症し、その結果引き起こされるさまざまな言動が他のマンション住人の生活に影響を及ぼすこととなり、やがて住み続けることが難しくなっていく、ということなのである。

逆にいえば、認知症自体を治すことはできなくても、事前に何らかの対策を打つことができ、BPSDの発症を抑えることができれば、マンションに住み続けることは可能、ということになる。

では、実際にBPSDの発症を抑えることはできるのだろうか。結論からいうと不可能ではないと考えている。

実際に、認知症者の周囲の人々による精神的なケアや訪問介護などの介護サービスを受けることで、それまで頻発していた異常な言動が少なくなる、もしくはなくなったという事例がある。

マンションにおける事例を一つ紹介する。

あるマンションで、住み込み管理員のところに頻繁に訪れる認知症の高齢居住者がいた。多いときは1日2回来ることもあったようだが、その居住者からの「鍵がない」「家族がどこかへ行ってしまった」という相談話を親身になって聞いてあげていたという。そして「何か心配事があったらいつでも来ていいから」と声をかけていたようだ。

一時的にはマンション内でインターホンを押して回るといったことはあったようだが、その後、この対応が精神的ケアにつながったのか、次第にそういった行動はみられなくなったという。

全ての管理員がこういった対応ができるとは思わないし、同じようにしても必ず解決できるということでもない。認知症者への対応はオーダーメイド、その人それぞれ異なるからだ。たまたまこの管理員が自身の両親を介護した経験を有していたことで改善できた事例ともいえる。

ここで伝えたいのは、認知症の高齢者が抱える「不安」に寄り添い支えてくれる存在、頼れる存在が近くにいれば、BPSDに伴う言動を緩和させることができるということである。必ずしも管理員である必要はない。ホームヘルパーでもいいし、民生委員でもいい。

この事例も、管理員だけが孤軍奮闘してこのような結果が得られたわけではなく、親族やホームヘルパーなど、さまざまな立場の人々が協力しあって対応にあたったことで成し得た成果なのである。誰かがやればいいというものではなく、多くの人の協力、助けが必要なのだ。

やっぱり「早期発見、早期対応」が重要、その具体策とは

では、具体的にどのような対応策が考えられるだろうか。

認知症に限らず、病気全般にいえることだが、やはり「早期発見、早期対応」が基本だ。特に「早期発見」が重要である。認知症の症状が軽いうちに気づくことができれば打てる手がたくさんあるからだ。

そのための「気付き」をどうするかだが、認知症は時間をかけてゆっくりと症状が進むため、変化に気付くのが難しいといわれる。

変化に気づくには「長期かつ継続的な見守り」が必要だ。認知症になる前のその人の言動、行動が分かっていないと、今の状態がその人の本来の姿なのか、そうでないのかが判別できない。明るい性格で愛想がよく、はつらつとしていた人が、暗い表情をするようになったり、反応が鈍かったりしたら、「これは何かあるのでは?」と気づくことができる、ということである。

そうなると、やはり家族による見守りが最も有効である。同居している家族が認知症に関する正しい知識を持ち、「長期かつ継続的な見守り」をすることによって早期発見ができると考える。

一方で、家族と同居していない、独居高齢者の場合は家族に代わる見守りの主体が必要だ。その場合、同じマンションに住む住人による見守りが考えられる。マンション住人が正しい知識に基づいて、意識して「見守り」を行えば、ある程度早い段階で変化に気づくことはできるのではないだろうか。

また、前述の通り、管理員がいるマンションであれば、管理員による「見守り」も有効だ。管理員はマンションでは唯一、住人全員を把握できる存在である。しかも、5年、10年と長期間勤務する管理員も少なくない。管理員が正しい知識に基づいて「見守り」をすることで、日常的な挨拶や短い会話の中から変化に気付くことができるのではないか。

ただし、管理員の場合、マンション住人に対して直接的に個別のサービスを提供することは、業務契約上認められていないため、契約面での整理は必要になるだろう。

そして、「見守り」で得た情報をもとに、本人の家族や地域の民生委員、地域包括支援センターなどの公的機関と連携して、病院や訪問介護といった適切な福祉サービスに「つなぐ」ことが肝心である。

そうすることで、医師による適切な治療を通じて認知症の進行を遅らせたり、介護のサポートにより認知症者の不便や不安を解消させたりすることにつながり、BPSDに伴う言動を抑制することができるのではないだろうか。

このような「気付き」「つなぐ」ことの意義については、コラム「高齢者が大変! 理解なきマンションコミュニティではダメ!」で興味深い提案がなされているので、併せてご一読いただきたい。

認める勇気!まず一歩を踏み出そう

「自分だけは認知症にならない」、根拠なくそう信じている人が多いように感じるが、そういう人こそいつ発症するかわからないと考えて自分事にしてほしい。

あなたがまずは一歩踏み出し、主体的に関わることで、あなたの住むマンションを「認知症になっても住み続けられるマンション」にしていくことこそが、あなた自身の将来の「安心、安全」につながる、そう思って行動していただきたいのである。

最後に、超えるべき最も高い壁について一緒に考えてもらいたい。それは「認知症であることを認めない」という壁である。

歳を重ねるごとに話題の中心は「健康に関すること」になり、病気自慢が増える。腕が上がらないといった軽いものから、耳鳴り、腰痛といった高齢者ならではの病気、手術体験まで幅広いのだが、なぜか認知症の話になると途端に口が重くなる。

認知症であると認めることで自尊心を傷つけられる、何か馬鹿にされたような、見下されたような気分になるようだ。認知症が「痴呆」といわれていた時代に、「ボケた」と差別的な扱いをされることがあり、その悪い印象が影響しているのではないだろうか。

そういった背景もあり、周囲が気が付いて家族にそのことを告げても「私の親がボケたとでも言うのか!ボケてなんていない!」と烈火のごとく反論され、受け入れられないという事例は枚挙にいとまがない。当然本人も「ボケたとはけしからん!失礼極まりない!」となって話を聞いてもらえなくなったりする。

この壁を乗り越えない限り、気付いてもそれ以上先に進めない。この間違った認識を覆すことが、実は最も困難なことなのかもしれない。認知症であることを認めずに症状を悪化させることがいかに大きなリスクをはらんでいるか、それを理解してもらうための活動は非常に重要である。

さまざまな取り組みが行われ、住み慣れた我が家で、誰もが家族に見守られて幸せな最後を迎えられる、そんな「理想的な住まい」がマンションであってほしいと願うばかりである。

宮﨑 栄治
執筆者宮﨑 栄治

マンション管理士。大和ライフネクストにて、管理組合の担当として運営補助業務などを担当後、マンション管理業協会出向。高経年マンション問題などの研究を行う。現在は、経験や知見を活かしセミナー講師や管理組合の相談窓口を行う。

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