「ごみ屋敷」という言葉を耳にする機会が増えています。テレビやインターネットでは深刻な事例が取り上げられ、多くの人がその光景を目にしたことがあるでしょう。一方で、「自分には関係のない遠い話」と感じている人も少なくありません。しかし、いわゆるごみ屋敷は日本だけの問題ではなく、世界各地の都市部で見られ、一戸建てから分譲マンションまで、さまざまな住環境で発生しています。では、なぜ人は片付けられなくなるのでしょうか。今回は、東京都健康長寿医療センター研究所の井藤佳恵先生に、単なる「片付かない部屋」という視点にとどまらず、そこに暮らす人の背景や心理にも目を向けながら、ごみ屋敷問題について解説いただきました。
はじめに
「ごみ屋敷」という言葉があります。みなさんにもなじみ深い言葉かもしれません。この言葉をインターネットで検索すると、まず清掃業者の広告、それから画像がヒットします。この事象に出会うと、屋敷に目がいって仕方がありません。それでも少し立ち止まって、そこに住まう「人」のことを考えてみませんか。
高齢期の「ごみ屋敷」に映る問題
高齢期にみられる、著しく散らかり不衛生な住環境は、しばしば環境問題としてマスコミに取り上げられます。ですけれどもその本質はもっと広く、保健福祉の領域と深く関連しています。
都内で行った調査では、「ごみ屋敷」に住まう高齢者の多くは、一人暮らしで、社会的孤立状態にあり、認知症や身体機能低下を抱えていました。身体機能の低下は、ごみ出しを難しくします。認知機能の低下は、必要なものと不要なものを分別することを難しくします。高齢期の「ごみ屋敷」は、ごみをためているのではなく、「邪魔なものを捨てられない」ことが、始まりにあることが少なくありません。
| 用語解説:「社会的孤立」 単に人との交流が少ないということではありません。必要なときに利用できる人間関係やネットワークが欠如している状態、つまり、「困ったときに助けを求められる相手がいない」状態を指して言います。 |
Sさんの話
ここで、一人の女性の話をしたいと思います。Sさんという方がいました。90代の女性で、幼児教育に生涯を捧げた方でした。たくさんの後進も育てました。生涯独身で、今は頼れる身寄りもなく、古い木造アパートでひとり暮らしをしています。
2年ほど前から、Sさん宅からゴキブリやネズミが大量に発生するようになり、同じアパートの住民から苦情が出るようになりました。大家さんがSさん宅を見に行ったところ、家の中はいわゆる「ごみ屋敷」の状態でした。大家さんは、片づけを手伝うことや、業者を入れることを提案しました。でも、Sさんは「大丈夫です、自分でできます」と言って、大家さんが手を貸すことを良しとしません。
1年経っても事態が一向に改善しません。だんだんとSさんと大家さんとの関係は悪くなっていきました。他の住民からの苦情に耐えかねた大家さんは、Sさんに立ち退きを要求しました。でも、身寄りのない90代のSさんが、新しい物件を契約することは容易なことではありません。
相談を受けて関わった地域包括支援センターの職員は、Sさんが一人暮らしを続けていくことはもう難しいと思いました。そこで、Sさんに施設入所を勧めました。でも、Sさんは頑として受け入れません。「人さまの世話にならずここで暮らしたい、施設には入りたくありません」。そうしているうちに日が経ち、とうとう大家さんはSさんを相手取って、退去を求める訴訟を起こしました。強制執行がなされ、Sさんはホームレス状態になりました。
Sさんと出会ったのはちょうどその頃でした。「もう誰も私のことなんて知らないの」と寂しそうに話します。「びっくりしたの、急に鍵が開かなくなって。どうしてこんな扱いを受けるのか・・・・・・ 今のところじゃ誰も私のことを知らないの」と言います。
「誰も私のことを知らない」
Sさんが繰り返すこのことばに、なんとも言えない寂しさを感じました。裕福な家で大切に育てられ、キャリアウーマンの先駆けとして生き、幼児教育や後進の育成をとおして社会貢献に尽くした自分が、ただただ「頑固で厄介なおばあさん」として扱われるとは。ずっと社会の役に立つことを考え、世話をされる自分など想像もせずに生きてきた自分が、90歳を過ぎて、周囲の人たちに嫌われ、家を追い出されるとは。そんな思いが感じられました。
権利の対立
「ごみ屋敷」への対応が難しいのは、しばしばそこで権利の対立が起こっているからです。「ごみ屋敷」に住まう人には、自分が望む場所で暮らす権利があります。一方、近隣住民にも、購入(契約)当初と同じ安全で衛生的な環境で暮らす権利があります。どちらか一方だけが正しいわけではありません。
さらに難しいのは、本人の中でも権利が対立することです。人権に関する最も基本的で包括的な人権規約として、国際人権規約(1966年国際連合総会にて採択)があります。この規約に基づけば、個人の自由な生き方を保障する権利は自由権に、不適切な生活環境から保護されるという権利は社会権に含まれると考えられます。単純化すれば、人には、自分のことを自分で決める権利と、安心安全な環境で暮らす権利が同時にある、ということです。同じ個人がもつこの二つの権利は、本人の意に反して医療・福祉の制度を使おうとするとき、対立することがあります。
Sさんのケースで言えば、「ここで暮らしたい、施設には入りたくない」というSさんの意思を尊重することは、Sさんの自由権の行使にあたります。これに対して、周囲の人が「施設に入って、安全安心に暮らしてほしい」と思って行動することは、Sさんの社会権の保護を目的としています。ひとりの人がもつ自由権と社会権が対立しているとき、どうすることが、誰の権利を尊重することになるのか。「片づけて終わり」「施設に入れて解決」という単純な話ではなく、わかりやすい「正解」はありません。
共生社会に向かって進むために
マンションという住空間の特徴は、住宅と住宅が密接しているということです。ある住宅の環境の悪化が近隣の住宅に影響を与えやすい、ということがあるかもしれません。自分の住環境に影響があれば、何らかの対応を求めることも人の自然な心理です。当事者にとって状況は切迫していて、視点を転換することは難しいかもしれません。それでもできるなら、「どうにかして片づけないといけない部屋」としての視点だけではなく、その部屋に住まう人の物語への眼差しをもってほしいと思います。この人はどのような人生を歩んできた末に、今このような状況になっているのか、そして今、何に困っているのか。
少なくない人たちにとって、分譲マンションとは「老後を豊かに暮らすための住まい」です。周囲の住環境を守りながら、その人が抱える困難にも目を向けること。そのような視点をもつ関わりの積み重ねの先に、分譲マンションは「何らかの支援を必要とする人を包摂するコミュニティ」という現代的な意味を引き受けるのか、ということの答えがあるのではないでしょうか。
おわりに
一人暮らしになること。身体の機能が衰えること。認知症を抱えること。困った時に気軽に頼れる相手がいなくなること。私たちの研究で明らかになった「ごみ屋敷」に住まう高齢者の特徴は、高齢になれば、誰もが抱え得るありふれた状況でした。「ごみ屋敷」は、特別な人にだけ起こる特別な出来事ではありません。どのマンションでも起こり得る、そしてきっと、マンションという共同住宅のあり方を考えることの延長線上にそっと置かれるような事象なのだと思います。
だからこそ私たちは、「人生の最終章で生じる生活の困難」として、この問題を見つめる必要があるのではないでしょうか。高齢になれば、心身の機能低下を避けることができません。長く生きれば多くの人が一人暮らしになります。社会的孤立についても、「困ったときに頼れる相手」を引き受けきることはできません。それでも、社会的孤立に最初に気づけるのは、日々その暮らしを見ているマンションという空間の共有者かもしれません。
井藤先生ご登壇セミナー
第5回 マンションみらい価値研究所セミナー 「超高齢化社会における共生」