多くの業種で、現在カスタマーハラスメント(カスハラ)対策が進められています。注意して見ると、鉄道駅やスーパーの店内などで「STOPカスハラ」といったポスターを目にする機会も増えてきました。これらはいずれも、事業者が取り組む対策の一環です。つまり、カスハラ対策においては、企業が重要な役割を担っているといえます。
今回は、「カスタマーハラスメント」をテーマに、京都大学 経営管理大学院 客員教授・加藤晃先生にご寄稿いただきました。マンション管理業界の実態を踏まえつつ、カスハラを現場の課題にとどめず、経営的な観点からどのように位置づけ、組織的に対応していくべきかについて提言いただきました。
はじめに
「お客様は神様です!」、国民的歌手の三波春夫氏が歌唱後にステージで繰り返したことから有名になったフレーズです。本人は「歌を聴いてくださるお客様を神様だと思い、全身全霊で歌を捧げる」という意図だったようですが、時代を経て、商業・飲食・運輸・様々なサービス業の文脈では、「お客様の言うことは絶対」「理不尽でも従うべき」と誤解されるようになったようです。東京オリンピックの誘致競争では、日本の「お・も・て・な・し」精神(hospitality)をアピールしたことは記憶に新しいですね。接客・サービス業においては、製品仕様上での差別化はできないので、自社を選んでもらう重要なポイントであることは間違いありません。
他方、現場では誤解も含めてクレームが発生します。不適切な接客による苦情は、顧客ロイヤリティを高める機会であり、オペレーションの改善にも役立つことがあります。ところが社会通念上、度を越えたものは「カスタマーハラスメント(以下、カスハラ)」とされます。数ある「〇〇ハラ」の一つですが、2026年10月から改正労働施策総合推進法の施行に伴い、事業者に雇用管理上の措置義務が課されます。カスハラの実態は、業種・業態によって様々ですが(※1)、被害者が負うストレスは相当なもので、休職、更には離職にまで発展するケースが見られます。また、悪質な場合は、何回も対策を議論するために役員会が開かれることもあるようです。
カスハラの詳細については、労働省のホームページや関連書籍をご覧いただきたいのですが、本稿では、1. マンション管理業界のカスハラと対策、2. 社内外を巻き込み効果を上げる施策に絞って、労働問題とは異なる視点から検討してみたいと思います。
1. マンション管理業界のカスハラと対策
マンション管理業界は「クレームのるつぼ」「クレーム産業」と称されることがあるようです。香川希理弁護士によれば、その特徴は、①人的距離・物的距離が近いこと、②閉鎖的であること、③一度購入したら離れることが困難であること(※2)、を挙げています。いずれも正鵠を得ており、苦い経験をフラッシュバックされる方もおられるかもしれませんね。そうしたクレーム対応の難しさは、①当事者が多数存在すること、②長期間、長時間にわたる、③多角的・専門的知識の必要性が指摘されており、中には本来は管理組合が関わるべき問題ではない区分所有者間のトラブルを持ち込むケース、あるいは区分所有者と管理組合の問題にどこまで管理を委託された管理会社(業者)が関わるべきかという実務的な境界問題が持ち込まれること(※3)、もあるようです。現場で勤務する担当者あるいは管理者の方は、正当なクレームと不当なクレームが入り混じる中、ご苦労されていることと推察されます。現場におけるクレーム対応については、法律的な対応も含めて何冊も良書が出版されているのでそちらをご覧ください。
思うに、顧客クレームは、企業規模によって所管する部署は異なると思うのですが、営業・サービスを担当する現場(最前線)、お客様相談室(コールセンターなど)、法務部などが一般的ではないでしょうか。本稿では、それを全社的な動きにするにはどうしたら良いか、つまりカスハラ対策の実効性を上げる施策を検討してみたいと思います。
2. 社内外をいかに巻き込むか(提言)
上記でお気づきの方もおられるかと思いますが、カスハラは元々労働組合から労働問題として提起された経緯があります。労働問題である以上、法を司るのは厚生労働省であり、措置という単語が使われている事からもご理解頂けるとかと思います。実際、日々、顧客と接してクレームを受ける立場にある従業員、規模の大きな企業であれば、お客様相談室(クレーム窓口)。質の悪いクレーマーと対峙する業務はうまく処理出来て当たり前、大事に至れば上司から叱責されかねないことも容易に想像されます。筆者としては、関連各位のご苦労に敬意を表するものです。
それでは、どうしたらカスハラ対策を全社的な課題に昇華させられるか。カスハラによって被害者がストレスを感じて落ち込むことで作業効率(生産性)が低下したり、休職すればカバーするために同僚の業務負担が増え、離職すれば空席を埋めるべく募集活動を行わなければなりません。求人広告、新人研修には費用と時間が掛ります。そうした金銭で見積もれる費用だけではなく、一人前になるまでサービスの質の低下も懸念されます。クレーマーとの対応を複数人で行うにしても上手く処理できなければ、SNSなどで真偽織り交ぜての拡散によりブランドが棄損することも考えらます。
それでは、どのような方策があるのか。筆者のキャリア・研究分野を踏まえて、少し異なるアプローチを述べさせていただきます。カスハラを全社的な動きまで昇華させるには、経営者に事の本質を理解してもらうことで経営戦略に落とし込み、全社を挙げて取り組むように仕向ける必要があります。「そんなこと、無理だよ!」との声が聞こえてきそうですが、経営戦略・情報開示・リスクマネジメントの交点を専門とする筆者はそうは思いません。現在、経営学分野では企業価値創造、人的資本(含む「心理的安全性」)がキーワードとなっています。すなわち、「人的資本は企業価値創造の源」との認識が強くなっているのです。これは企業の法的所有者である株主(投資家)にとっても同じことです。投資家は、投資先企業の業績を上向かせることで株価の上昇、増配を期待しています。どんなに素晴らしい経営戦略を描き、情報開示(IRという)をしても、現場で実行する従業員の生産性およびサービス品質の低下、離職率が高いようではどうにもなりません。そこで、企業価値創造の源である人材(財)をいかに上手く採用・管理しているかを問うているのです。投資家は、経営層との高質な対話(エンゲージメント)を通してその本気度を感じ取り、駄目だと判断したら、役員の選任案への反対(株主総会での議決権行使)、保有する株を売り払うという強力な選択肢を持っています。経営層としては、投資家は最も重視しなければならないステークホルダーなのです。つまり、カスハラ問題と対策の重要度を投資家に認知してもらい、その投資判断に反映させることができれば、前述した社内の関連部門に加え、経営層、経営企画、人事、総務、財務、広報IRなどを本格的に巻き込んだ全社的な動きにつなげられるのではないでしょうか。誤解を恐れずに言えば、現場の労働問題から経営戦略課題(人的資本、心理的安全性、情報開示)まで視座を引き上げるということです。それでは、どうしたらそんな大それたことができるのか?
プロセスを簡潔に図示してみましょう。
金融・資本市場がカスハラを強く認識することで、広報IR部門が反応(上場企業であれば、有価証券報告書、統合報告書への記載)、経営層が経営戦略に取り込むことで社内の多くの部門を巻き込む動きとなり、実行性が高まるのではないでしょうか。
※1 日本能率協会コンサルティング(2025)『実践カスタマーハラスメント対応ケーススタディ』経団連出版
※2 香川希理編著(2022)『カスハラ対策アニュアル』日本加除出版 pp.200-201
※3 同上 pp.201-203